umedamochio
スモールビジネス
- 2009-03-22 (日)
- マイライフ
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この間、今後の進路について書いたときに、「自分自身で小規模なビジネスを」ということにも触れました。
今は、派遣のSEとして仕事をしているし、それはしばらく続けるつもりなので、ビジネスといっても完全にそれだけをやるという風には考えていません。
ただ、世の中には週末起業というか、兼業的に時間を区切って起業家になるという方法もあるようなので、自分も将来へのステップとして、やってみようかと考えています。
独立開業には、2つの考え方があります。
立ち上げた会社を大きくしていくことを目指す「ベンチャー」と、会社を大きくすることは追わず自分で仕事を一つ一つこなしていこうとする「スモールビジネス」です。
自分が目指しているのは、「スモールビジネス」の方で、「小粒ながらピリリと辛い」、「小さな巨人」といった形容詞が似合う形を作りたいと思っています。
いま使った形容詞は、池ノ上直隆さんの「小さい会社をつくる」の受け売りなのですが、それだけ自分の中でしっくりくる言葉だったのです。
おそらく、私がこういう方向に進もうとしているのは、子供の頃からの憧れのようなものが根底にあるからだと思います。というのは、以前からこのブログで何度か触れている「知的生活の方法」という本がベースにあるのです。
「知的生活」というキーワードを思い出したのは、梅田望夫さんの「ウェブ時代 5つの定理」で、以下のような文章に出くわしたから。
当時の私は、シリコンバレーに住めて「ネクスト・ビッグ・シンク」についての最先端の情報を仕入れながら勉強できればそれでいい、という考えしかありませんでした。
もともと私には、理想とする知的生活のあり方というものがありました。世の中の雑事にあまりわずらわされず、本を読んだり、考え事をしたりを中心とした生活を営みたい。
この本そのものは、どちらかというと「ベンチャー」の方の本ですが、氏が立ち上げたのは「スモールビジネス」の方。スモールビジネスをベースに知的生活をやりながら、その考え事の対象がベンチャーだった結果、氏の一連の著作になっていると思うのですが、どうでしょう。
閑話休題、いま私が出来ることというと、まずはWebだと思うのです。パーソナルブランディングという側面もあるし、そもそも私がやってきたことってWebばっかりだし。その中でも独自ドメインを取ってCMS入れて、コンテンツを集約するってことは、ちょっと人より経験多いだろうとは思うのです。
それがビジネスになるかはこれから考えるとして、少なくとも自分のWebはちゃんと作ろうと思うわけです。
いや、自分のWebって、いまこの文章を載せようとしているinoccu.netというものがあるじゃないか!といえば、そのとおりなのです。
目下、考えているのは、inoccu.netをそういう風にするのが良いのか、別の何か会社っぽいサイトを立ち上げるべきなのかという問題。
これって結構な問題だと思うのです。ブランディングとしてどっちが良いのか?
「パーソナルブランディング」という本に言わせれば、自分の名前を会社の名前にすべしということらしい(著者のピーター・モントヤは、ピーター・モントヤ・インクを作っている。ただ訳者の本田直之さんはこの本に大きな影響を受けらしいのに、レバレッジ・コンサルティング。日本文化には合わないのかな?)。
こういうことを考えていると、人生楽しくなってくるので、もうちょっと考えます。
「好きを貫く」志向性のバリエーション
- 2007-12-10 (月)
- マイライフ
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タイトルを「好きを貫くの敷居を下げる」から変更しました。
今日、2つの注目すべきエントリーがあって、大変に参考になった。
若輩な私でも、ネットの隅っこのほうで様子を覗っていると、こういう人生における高度な議論を目にして、自分の何か糧にすることが出来、こうやって少し何か書けるというのは、ありがたい。
どんなにプログラミングが好きな人でも、毎日休まずプログラムを書き続けないと
生活できないとなると、それはだんだん苦痛になってくる。
好きなことを仕事にして生きていく、というのは、本質的にそういうことなのだ。
そもそも、人は、その瞬間、瞬間で、いろんなことに興味をもち、
いろんなことをやりたくなる、自由で軽やかに発散していく欲望を持っている。
分裂勘違い君劇場 – 「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法
振り返ってみると、私は「好きを貫く」というよりは「嫌いから逃れる」人生を歩んで来たと思う。学校が嫌いだったので登校拒否し、家が嫌いだったので家出し、日本が嫌いだったので留学し、雇用されるのが嫌だったので自営し….といった具合だ。
404 Blog Not Found – 嫌いを砕く
この2つのエントリーは、梅田望夫氏の著書「ウェブ時代をゆく」や、氏の言うところの「好きを貫く」に対する批判のように読めるが、私にとっては、どうも同じようなことを言っていると思えた。それ故に、「ウェブ時代をゆく」の読み方がさらに深まったような気持ちすらしている。少し、自分の目の前が明るくなったような気がするのだ。
なぜ、同じようなことを言っていると思ったかというと、その時々の好きという気持ちを大事にすることで、結果的に何か貫いた好きを持たない(ように見える)…何者でもない自分…なのであれ、嫌いから逃げるまたは砕くというのであれ、それは結局のところ、志向性を巡るバリエーションに過ぎないのではないかと思ったからだ。
梅田氏のいう「好き」は貫くほどの好きだとすれば、分裂勘違い君劇場は「その時々の好き」だから、やはり好きなのであり、小飼弾氏はもうちょっと控え目な好きというか、嫌いから逃れることによって到達する好きなのではないか。その程度の差こそあれ、何か指し示している志向性であることには変わらない。
「ウェブ時代をゆく」を実践する
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前作と比べると。。。
けものみち
『ウェブ進化論』を理解してから読みましょう
福沢諭吉もビル・ゲイツも同じ「もうひとつの地球」を見ていた
いかに生きるべきか
「ウェブ時代をゆく」を読んだのは、発売された直後で、それこそ貪るかのように読みました。
数日何も食べていないところに現れた、白いおにぎりといった感じといえばよいでしょうか。それほどでした。
しかし、このブログに書くのがだいぶん遅れたのは、何から書けばよいか分からなかったというのが、その理由です。
メイキング・オブ「ウェブ時代をゆく」が出て、the rest of usに向けた本であるという、梅田望夫さんからの説明があって、少し見えたことがありました。
それは、the rest of usの中には間違いなく私がいるということです。
the rest of usは、何に対しての「残り」であるのか。
『ウェブ進化論』では、ネット時代を切り開いていく最先端の人たちに、がんばってやれば君たちもできるよ、ということを伝えたかった。つまり、「心で読む」読書という部分における読者層としては、一番先頭を走っている人を対象にメッセージを込めた。今度の『ウェブ時代をゆく』は、「the rest of us」に向けて書いた本なんですよ。ウェブというのは、老若男女すべての人に影響を及ぼす。そういう人たちがウェブ時代にどう生きていけばよいのか、ということを考えました。
という説明にあるように、「ネット時代を切り開いていく最先端の人たち」に対しての残りでした。
私が「ウェブ進化論」を読んだのは、前にも書いたように、ちょうど前にいた会社を辞めようと思うか思わないかくらいの時です。SEとして主にWebシステムを開発していた私は、それが同じ「Web」であるだけに、強い関連性を感じたのです。「あちら側」にいるのではないかと。何か違和感を感じつつではありましたが…。
それから2年近くが経って、やはりSEをやっていますが、会社は辞めて、フリーでやるようになり、ITとの関連はある程度持ち続けながらも別の分野に進もうと考えるようになって、間違いなくthe rest of usになりました。
「ウェブ時代をゆく」に書いてある「ウェブ時代をどう生きていけばよいのか」というのは、「けものみち」、「ロールモデル思考法」、「ウェブ・リテラシー」の3点に集約することができます。
どうやって、「けものみち」を一人でサバイバルしていくのか。それを考える上で、ネットの持つ「個をエンパワーする」力を最大限に活用するのは必須です。だから、「ウェブ・リテラシー」が必要になります。また、自分にとっての「けものみち」は何なのか。それを見つけ出す力も必要です。「ロールモデル思考法」を使ってみたらどうでしょうか。つまり、この本が語るのはそういうことです。
「けものみち」について、簡単に説明しているのは、この部分です。
「けものみち」とは、高速道路を疾走するのに比べると、まあ何でもありの世界である。好きなこと、やりたいこと、やりたくなくてもできることを組み合わせ、とくに組織に属するもよし、属さぬもよし、人とのさまざまな出会いを大切にしながら「個としてのストーリー」を組み立て、何とかゴチャゴチャと生きていく世界だ。
「けものみち」の対極にあるのは「高く険しい道」です。「高く険しい道」を進む人にとっては、「ウェブ時代をゆく」はあまり必要ないかもしれません。おそらく、「ウェブ進化論」だけあれば十分でしょう。「ウェブ時代をゆく」は、「高く険しい道」を進まない人(つまり、高く険しい道を進む人に対してthe rest of us)のために、書かれた本だから当然です。
私は、the rest of usであることを悟ったが故に、けものみちを進む決意をしているところです。ITと行政書士の業際というのは、そういうことです。昨日の「あなたが年収1000万円稼げない理由。」でもありましたが、必要なのは、「好きなこと」「興味があること」の複合技です。
「けものみちを進む」決意をしたということは、この点について、一つのロールモデルを得たということでもあります。
詰まるところ、私がこの新しいブログを立ち上げて、育てていこうとしているのは、けものみちのロールモデルの一つの実践といえます。(ブログを持つだけでは、ウェブ・リテラシーの実践とは言えそうにありません。幸い、Webシステムの開発を生業としていたり、LinuxZaurus向けのRSSリーダー&ブログエディタ「DmBlogger」を作っていただけあって、それなりのウェブ・リテラシーはあるはず。何か実践せねば…ですね。)
これからの時代にウェブ・リテラシーを持ち、サバイバルの意思を持って、リアルとネットを創造的に行き来しながら努力すれば、きっと道は開ける。ウェブは、「志」を持つ人にとって大いなる味方たる強力な存在なのだ。
ある程度知っている人にとって、この本はこれといった知識を供給するわけではありません。それよりも、the rest of usに対して、特にthe rest of usな若者に対して、「熱」と「術」を供給する本です。
私が今のところ、ここに書いている書評というか読書感想文が、要点を抜き出して、感想やそこから派生する何かを書くというスタイルです。しかし、「ウェブ時代をゆく」について書いたこのエントリーは、要点や感想というより私個人のエピソードばかり書いているように思います。それは、このブログ「自体」が、「ウェブ時代をゆく」の読書感想文だと思っているからです。「ウェブ時代をゆく」には、示唆される点が山のようにあります。折々に書き、色々な文章の中で触れていこうと思います。
意欲の核
- 2007-06-22 (金)
- マイライフ
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「意欲の核を持てるためなら(結局それは命を輝かせることになる)、何をやってもいいんだ」と思っているのだ。
そのためならオプティミズムだろうが、サバイバルだろうが、未来の創造だろうが、危機意識だろうが、何でも持ってきて、それで「意欲の核」が生まれずに苦しんでいる人の心が一つでも開けば、もうそれでいいや、と思っているっていうことかな。My Life Between Silicon Valley and Japan – フューチャリスト宣言や茂木さんのことやはてなのことなどを酔っ払いながら書いてみる
なんだか、最近、酔っ払いながら書いている人が多い(例えばhttp://kirik.tea-nifty.com/diary/2007/06/post_fe39.htmlとか)ようだけど、こういうことを書く人だから、私は梅田望夫という人が好きなのだろう。私のように単純な人間は、前向きな文章を読むと前向きになるし、良いことは言っているのだろうけど現状維持か後ろ向きな文章を読むと、急に後ろ向きになってしまうのだ。でも、どちらも良いことを言っているのだし、それなら前向きな文章の方が読んでいて楽しいじゃないか。まぁ、そんなことを言っているから、ダメなのかもしれないけれども。
と、書いて思ったのだが、「だからダメ」の論調は、あまり芳しくない。せっかく、どんな方法を使ってでも「意欲の核」を生ませようと思ってくれている人がいるのに、「(そんな自分は)だからダメ」で片付けるのは失礼な話である。
ところで、はてなダイアリーに書き始めて1週間が経った。わずか1週間ではあるが、はてなダイアリーを中心に、はてなブックマークやはてなキーワードを伝って、または、はてなアンテナやはてなRSSを使ってお気に入りサイトを訪ねて、読んで、思って、書き…ということをしていると、急に少しは偉くなったような気がするから不思議だ。「偉くなった」はあまりに突拍子もないが、今までに比べれば少しは考えるサイクルが回り始めたというか、そんな感じなのだ。今までが、あまりに考えなさ過ぎだったのだろう。自分が少し変わり始めたような気がする。
やっぱり、おめでたい人のようだ。
digitalmorningにWordPressを導入
以前からやっているdigitalmorningに、WordPressを導入してみた。はてなダイアリーを使い始めてから、更新が途絶えてしまったdigitalmorningに起死回生なるか…というところだが、正直、はてなで考えるサイクルが回り始めてしまうと、いまさら戻るのは、なかなか厳しい。きっと、同じような環境を準備できないだろうから。
ただ、はてなダイアリーになっても、書いていること自体は、基本的にデジタルなことか、モーニング(娘。などハロプロ関連)であるから、「digitalmorning」というネーミング自体は、お気に入りである。名前だけは、こっちに持ってくるとか、そういうことも思案中だ。
じゃあ、好きなことって何だろう
- 2007-06-18 (月)
- マイライフ
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今日も、ここから。「サバイバル」という言葉に関する批評がいろいろあるようで、そのおかげといっては何だが、さらに分かりやすく、諭すように書いてくれているのは、個人的にはありがたい。
まずそこまでが「当たり前の世界認識」。じゃあそこからどうするかというときに、「好きなことを貫く」ことで競争力を出そうね、「好きなこと」でなければ徹底的には続けられないよね、それはネットが増幅してくれるよね、という話になるわけだ。
My Life Between Silicon Valley and Japan – サバイバルという言葉が嫌いなら使わないで話そうか
私自身は、この考え方を批判する気はないので、そのまますとんと落ちてくる。まぁ、信者と言われてしまうかもしれないが。ただ、もっとレベルの低い話をするし、今の議論とは外れたことを書いてしまうが、「好きなこと」が分からない人はどうしたらいいのだろうか。
私の場合は、ここ1年以上も自分探しというか、好きなことって何だろう、得意なことって何だろう、自分は何をしたいのだろうということを考えてきた。その結論は未だに分からないし、挙句の果てにはうつ状態と診断され、薬を処方されるまでになってしまった。経済的にもなかなか厳しい。こんなことなら、無謀な試みなどせず、正社員(2000年4月~2006年8月は某中堅SIerのSEであった。)のままいれば良かったのかも…なんてことも思わないでもないが、いまさらそれを言っても始まらない。出来れば、後戻りではなく、前を向いて、ここを凌いで…と思っているが、それが故に、無力感、無能感は強まる一方だし、判断力も低下しつつあるような気がするし…と、悪循環にハマっている。これでは、サバイバルどころか、サバイバルのスタート地点にすら立てていない状態だ。
交換可能な能力を高めることが、好きなことを貫くための妨げになることも少なくありません。仕事は、その仕事をこなす能力を持つ人のところにやってきます。交換可能な能力を高めれば、交換可能な仕事が大量に押し寄せてきます。
そんなわけで、いくつかのエントリーを見て回ってブックマークしたりしたのだが、まずは、小野和俊さんのエントリー。交換不可能な能力を磨くこと。まぁ、自分の中で交換不可能な能力とは何か、少なくともその種になりそうなものは何か、それは見つけないといけない。それは本当に交換不可能でなくてはならない。引用部分にあるように、交換可能な能力が高いようだと、逆に交換可能な仕事ばかりが増える。自分自身でも出来る気になってしまう。それだと、いつまで経っても交換可能な仕事ばかりが続いて、いつまでも不満を抱えたまま、自分自身の交換不可能な能力を見失ってしまう。
まずは、今ある仕事をきちんとこなすところからはじめて見よう。それは必ずしもあなたが好きな仕事ではないかも知れない。好き嫌いはさておき、どうしたらその仕事がきちんと片付くかを考えてみよう。仕事そのものを目標にするのではなく、仕事の完了を目標にするのだ。大事なのは、やりとげるまできちんとやること。
その一方で、あまりに自分探しにとらわれてしまうと、自分というものが今の自分とは違う、別のところにいるような感覚に陥ってしまう。「新規蒔き直し症候群」とか「青い鳥症候群」である。その解決策は、まずは目の前の仕事を何とかしようよ…という考え方。
それを言えば、プログラマーだってそうだ。かつてプログラムはハードウェアのおまけだった。しかしそれを好きな人たちが、「プログラムで出来ること」を増やして行った結果、独立した仕事として成立するだけの市場を確保した。
(中略)
仕事そのものを生み出す仕事そのものは、「仕事化」できないということ。それが「仕事」になるまでは、「遊び」にしておかなければならない。その間の糊口をしのぐためにも、すでに「仕事」になっているものはきっちりやっておくべきだろう。
同じエントリーからだが、好きを仕事にするには、その仕事を作れば良いという考え方もある。そこで出来た仕事というのは、間違いなく交換不可能な能力によるものということになるだろう。
いずれにせよ、「やり遂げる」というプロセスは必要不可欠で、まずはそこから…ということか。





