education
IT業界はもっと教育に貢献したほうが良い
- 2009-06-12 (金)
- ビジネス
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今日の日経に、学校での日本の生徒1人あたりのパソコン台数は欧米の半分以下という記事がありました。青森県内のある公立中学校では、20台のパソコンがあるものの使うのは半月に1回程度。原因は、基本的なこと以外を教えられる教員がいないからだそうです。
だったら、自分が教えに行こうか・・・と思ったりもするのですが(そういうルートがあるのか知りませんが)、でも、何を教えればいいのだろう。
まず、自宅にパソコンがあるかどうか、それを本人が使っているかどうかで、生徒ごとの実力差は雲泥のものがあるでしょう。タッチタイピングどころか、どうやって電源を入れれば良いか迷う子がいる一方で、家に帰れば2ちゃんねるとかブログをやっている子もいるとすれば、実力別クラスに割り振らない限り、効果的な教育は出来ないのではないか、と思います。
逆に、何を教えるべきでしょう。最低限、読み書きそろばん程度のPCというか、タッチタイピングをやって、ノートパッドで何か文章が書けて、ちょっと表計算にも触れさせてみる。あとは、ネットとメール。Googleで検索させてみるとか、メールをやりとりするとか、基本的なネットの所作は必要。ネットリテラシーに関する教育もやるべきでしょう。
ここまで出来れば、ちょっとした仕事をこなすPCの能力はあると言えます。ネットブックが売れていますが、それで出来ることがこの程度の作業だと思うので、ほとんどの人にとってのPCの使い道はこの程度なのでしょう。ここまでたどり着けば、デジタルデバイドの問題はクリアしたことになると思います。
(「基本的なこと以外を教えられる教員がいない」という、「基本的なこと」というのが、上記のような範囲のことなのか、もっと小さい範囲なのか、ちょっと分かりません。)
あとは、個人の興味によって、プログラムを書かせてみるとか、PCで絵や動画、音楽をやってみるとか、いろいろあると思います。この領域になると、教えられる教員はかなり限られてくるでしょう。でも、子供のうち、学生のうちに少し触れてみることで、興味がどんどん沸いてきて、いずれ日本の未来を明るくすることもあると思うので、重要です。
普通の授業にPCを持ち込むのも良いでしょう。社会や理科といった科目なら、ネットで調べてレポートをまとめる、プレゼンテーションを作って発表するとか、そういうことの初歩をやれば、いま、真に求められる職業能力につながります。(Nintendo DSを教育に使う取組みがありますが、やっぱりPCでやるべきだと私は考えます。)
高校生とか大学生、専門学校生が相手だったら、模擬的なシステムをチームで作らせるのが良い。IT業界というか、特にSI業界が新3K職場として嫌われがちになっていますが、チームでシステムを作るということ特有の楽しさ、面白さもあるので、そういう部分を感じてもらえれば、将来SI業界で働きたいと思う学生も出てくるでしょう。
大手SI企業が大学に社員を派遣して、授業をするという取組みも始まっています。IT業界の社会貢献のあり方として、もっと教育現場に目を向ける必要がありそうです。
子供たちからケータイを奪うことによって生じる2つの問題
- 2008-05-18 (日)
- 時事
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asahi.com:「小中学生に携帯電話持たせるな」教育再生懇提言へ – 携帯電話 – デジタル
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾長)は17日、子どもを有害情報から守るために「小中学生に携帯電話を持たせない」との提言を、今月末にまとめる中間報告書に盛り込む方針を決めた。強制力はないが、保護者をはじめ社会に対するメッセージとする狙いがある。
いくらなんでも、その手はない。
たしかに、学校裏サイトの問題とか、プロフの問題とかあるのは分かる。
しかし、未来を担う子供たちから最新のテクノロジーを奪うことが、どれだけ将来の日本に暗い影を与えることになるのか、それを考えなければならない。
問題は2つあると思う。
1つは、経済的競争力に落とす影。
もう1つは、メディアリテラシーの問題だ。
経済的競争力に落とす影
技術立国である日本は、常に新しい技術革新とともに進んでいかなければ、経済的競争力は落ちる一方だ。
梅田望夫氏が、ネットやケータイを空気のように感じている世代から次の革命が生まれる的なことを言っていた。
私がケータイを初めて持ったのは専門学校生の頃だった。今はなきNTTパーソナルのPHSだった。なぜ、NTTパーソナルのPHSを選んだかというと、PCのメールが転送できたからだ。今となっては当然の機能だが、当時としては珍しかった。
ここでなぜ、そんな昔話をしたかというと、既にPCでインターネットを十分に体験したあとにケータイを持つと、PC視点でケータイを見ることになることを言いたいからだ。
今の子供たちは、自分のPCよりも早く、自分のケータイを持っているのではないか。PCは家族で1台だが、ケータイは1人に1台。そういう家庭は多いと思う。
そんな彼らは、最初からケータイ視点でケータイを、そしてPCを見るようになる。そこからしか新しい革命は生まれない。その考えは一理ある。
メディアリテラシーの問題
いま議論になっているケータイの問題というのは、詰まるところネットの問題で、ネットが容易に新しいコミュニケーションの場を作り出すところにある。
基本的にそれは素晴らしいことなのだが、ネットの場合、親の監視が行き届かないところにそれが出来てしまう。特に1人1台が持つケータイだと、その傾向が強くなる。そういうことだと思う。
しかし、だからといってケータイを奪うことが解決になるのか。
本質的に重要なのは、ケータイという新しいメディアから生まれる、新しいコミュニケーションを、いかに子供たちが有意義に使うかである。少しは痛い目を見ることもあるかもしれないが、そういう点を含めてメディアリテラシーは涵養されていく。
だから、大人たちはメディアを有意義に使うという視点で子供たちを見守り、サポートすべきなのである。まぁ、そもそも、大人自身がメディアを有意義に使っているのか?というと、甚だ心許ないところではある。メディアに踊らされる大人ばかりかもしれない。(大人たちが踊らされているのは、主にテレビや新聞といったオールドな、しかし今のところは基幹なメディアだが。)
子供たちから新しい、これからの基幹メディアともいえるケータイを奪うことは、何の解決にもならない。結局、メディアに踊らされる大人たちの再生産になるだけだろう。

