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100台のコンピュータ
- 2009-11-30 (月)
- 読書
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スタパさんと船田さんというのは、私の学生時代のスター的存在であって、もともとはアスキーで編集者をやっていた、いまはライターとか、いろいろやっている方です。
特にスタパさんは、物欲番長などと言われていたり、自ら「衝動買い技術者」と名乗ったりして、やたらコンピュータとかを買ってはレビューを書いている人。(最近は、デジカメとか、猫の写真を載せている方が多いような気もしますが・・・。)
船田さんも負けず劣らず買いまくっている人で、有限会社タフなど、いくつかの会社を起こしたりして、SOHO本を以前出したこともあります。
そういう著者のご紹介はこの辺にして、今回ご紹介する「100台のコンピュータ」は、初版が1998年に出たという、かなり昔の本です。版元が「アスキー出版局」なのですから。懐かしい。それを、ついこの間、Amazonで中古本として買ったのです。
スタパさんと船田さんの出した本の中では、最高の名著だと私は思っています。何が名著かというと、80年代から90年代中盤あたりまでに発売されたマイコン・パソコンや、その周辺文化、さらに著者のエピソードといったものが見事にトレースされ、凝縮されているところ。
お二人と私とでは、年齢が15歳くらい離れているので、80年代前半から中頃までの記述は、私にとっては何かで読んだことのある・・・という世界でしかありません。しかし、80年代後半以降については、私が最もパソコンというものに熱かった時代であり、かつアスキーという出版社が当時醸し出していた独特の雰囲気が好きだったので、感慨深すぎるわけです。
なぜ、あの頃はあんなにパソコンばかり触っていたのだろう。まぁ、これは今も大して変わりませんが、パソコンで出来ることなら何でもやってやろうというくらいの熱さは、あの頃ならではです。ゲームは「トキオ」とか「シムシティ」くらいしかやらなかったけど、BASICやってCやってJavaやってプログラムを作ったから今の仕事に就いているのだし、CGも描いたし、MIDI音源を買い込んではDTMもやってみた。ビデオキャプチャーしてはDelphiで簡単なオーサリングもやった(Delphi自体はオーサリング用言語では決してない)。自作PCをやってみたくなったときは、わざわざ北九州から夜行フェリーで大阪日本橋まで繰り出してパーツを買い込んだりもした。一言で言えば、パソコン自体が楽しかった時代です。
同じような経験をお持ちの方には、どこかから入手して是非読んで欲しい一冊です。
船田戦闘機さんが本名で出したSOHO本。こちらは、今となっては記述が古すぎる点は否めない。
コンピュータはいつもボクたちの近くにある
@ITで「パソコン創世記」の内容が細切れで紹介されています。
「パソコン創世記」は、第1部は1985年、第2部まで含めて1994年に富田倫生さんが発表した書籍で、いまは富田さんの意志によって青空文庫でフリーテキストとして公開されています。
私は、青空文庫に上がっているこのテキストを、思い出すごとに何度もダウンロードしては、その時に使っていたPDAに入れて、読み返しています。
「パソコン創世記」はとにかく大きなテキストです。「本」の姿をしていた頃のことを私は知りませんが、おそらく500ページはあったのではないか(Amazonによると470ページでした)と思います。非常に分厚い本であったろうと思います。
「パソコン創世記」の第1部は、不思議な内容というほかありません。
前半は真っ当なのです。NECが実験用、学習用として売り出したワンボードマイコンTK-80。売り出されると同時に、NECの想定とはまったく違う客層に売れ始めます。本来なら、いろいろな職業技術者に買ってもらい、マイコンの使い道を各自の専門分野や業界内で考え出してもらうはずでした。しかし、実際に売れている先は学生やら、親子やら。実験用としてではなく、実際に使えるコンピュータとして買っていく人たち。もちろん、TK-80のような非力なコンピュータで何が出来るわけではなく、勘違いで売れていったのです。
秋葉原に作ったビットインにも、土日も構わず人が押し寄せます。
そのような実に奇妙な売れ行きに、戸惑うNEC。少しだけ、その動きについて行ってみようと決意する担当者。それが、後のPC-9801シリーズにつながる、PC-8001の発売に結実します。
この部分は、以前のNHKの番組「プロジェクトX」を見るような感じで、読み進めることが出来ます。
さて、問題は後半。登場人物はタケシとヨーコ。舞台は学生闘争にフォークゲリラ。そして、話の中心はヤマギシ会(→Wikipedia)に移っていきます。コンピュータとは一切関係ない話の展開に、読者の頭は「?」でいっぱいになることだろうと思います。
著者の富田さんは、第1部のあとがきで、この前半と後半の組み合わせが有効に作用しているのか、もう自分では冷静に判断できないと心情を吐露しています。著者自身、ある意味で賭けに出たのではないかと思います。
この賭けは、いったい何を狙ったものなのか。(以降、ネタバレ注意!)
あとがきにおいて、著者の賭けを読み解く糸口になる記述があります。
スティーブ・ジョブズの登場。ジョブズがアップルを立ち上げる前、ヒッピー生活をしていたといいます。LSDにも手を出したという記述もあります。
著者は、ジョブズのヒッピー生活にタケシを重ね合わせようとしているのです。
ジョブズが生み出したApple IIは、今の私たちにどんな影響を与えたでしょうか。
それは、私たち自身が、私たち自身のために、使いこなすことの出来るコンピュータの誕生です。当時のIBMに代表される大型コンピュータが人々を管理するというモデルとは大きく異なる、個人のためのコンピュータです。
タケシは学生運動やヤマギシの経験、そして妻子との別れから、精神を病んでしまいます。それを救ったのが小さなコンピュータとの出会い。体制による管理とは対極にある、ちっぽけなコンピュータ。自分の命令を少しずつ与え、動き出したときの感動・・・。
私は、コンピュータの世界、今ではITということが多いですが、その発展は常に個人の手に負える小さな世界から始まっていると考えています。コンピュータが一つのシステムとして大きく整然としたものになると、そのアンチテーゼのような小さな世界が生まれます。例えば、PDAやiアプリ。そして、今ではiPhone(ジョブズがまた生み出したもの)やAndroidがそうでしょう。ネットの世界に目を向ければ、Twitterがあります。素朴な機能を有するコンピュータやサービスが、私たちの創造力をかき立てます。そして、個人の小さな動きがやがて大きなうねりとなり、世界を変えていくのです。
その元祖といえるものが、本書で紹介されているパーソナル・コンピュータ。いや、当時の言葉でマイコンといった方が良いかもしれません。
コンピュータの世界の根底にある、良きアマチュアリズムのような空気感。その鮮烈な源流を本書から感じることが出来ます。
ちなみに、第1部は全体の20%に過ぎません。残る80%は、NECのPC-8001以後、そしてアメリカの動きが紹介されています。ジョブズはもちろん、もうひとりのスティーブこと、スティーブ・ウォズニアック、そしてビル・ゲイツの活躍に胸を躍らせて下さい。
もちろん、日本人の活躍も、忘れてはいけません。NECでPCシリーズの開発に携わった人たち、さらにアスキーの西和彦やマイクロソフトの古川亨、ソフトバンクの孫正義、ジャストシステムの浮川夫妻。彼らの活躍も、本書でしっかり述べられています。
その中で特に顕著な活躍を見せるのが、アスキーの創業者、西和彦です。彼が月刊誌ASCIIの創刊号(1977年7月号)に書いた巻頭言が、第1部に引用されています。ここでも、少し長くなります引用します。(1977年にこう思った人がいるというのが、凄いと思う。)
ひととおりマイクロコンピュータのシステムをそろえるためには最低二〇万円はかかります。二〇万円を単に純粋な遊びのために投げ出す人が国民的レベルで増加することは期待できそうにありません。
何の理由でもいいのです。とにかく自分で納得のいく目的があること、それがマイクロコンピュータに取り組む人の備えなければならない最低条件になるのではないでしようか。
マイクロコンピュータは家電製品にも積極的に使われて、産業としての地位を確立しつつありますが、今まで大型が担ってきた計算とか処理などの機能を備えたコンピュータが個人の手のとどく商品となったら、それをどのように分類したらいいのでしょうか。
電卓の延長ではないと考えます。家庭や日常生活の中に入ったコンピュータ、テレビやビデオ、ラジオのような、いわゆるメディアと呼ばれる、コミュニケーションの一手段になるのではないでしょうか。テレビは一方的に画と音を送り付けます。ラジオは声を音を、コンピュータはそれを決して一方的に処理しません。誇張して言うなら、対話のできるメディアなのです。個人個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができるもの――これが次の世代の人々が最も求める解答であると思うのです。
『ブーム』といってさわがれているその理由が、かつてのBCLと同じように内部からの自然発生でなくて、外部からの励起によるものであることは明らかですが、これがブームから革命に移る過程は、自発的に、主体的にユーザーが行動できるかということにかかっていると思います
ここまで書いてきて、私はなぜ本書を折に触れて読み返すのか、気づきがありました。
私の前に、コンピュータがなかったら、絶対に今の私はいません。これはもう確信というに値するほどのことなのですが、それを思い出し、心に刻むために読み返しているのだ、ということです。
ちなみに、私が前にいた会社は、学校に来た求人の中で唯一受けて、すぐに採用が決まった会社ですが、それ以外に個人的に応募した会社がアスキーであったことは、公然の秘密にしておきます。(言っちゃった!)
コンピュータの価値、パソコンの価値
- 2006-04-03 (月)
- ビジネス
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引き続き、コンピュータの価値を巡る旅を続けることにします。
私は、梅田望夫氏の「Web進化論」につづいて、富田倫夫氏の「パソコン創世記」を読んでいます。
「Web進化論」は、正に今が旬の話題です。
一方、「パソコン創世記」は、TK~80まで溯って、PC~9801の全盛期くらいまでの話で、今となっては、歴史絵巻に匹敵する内容です。
歴史は溯れど、コンピュータに対する価値の見出し方は、ひょっとすると、あまり変わらないのではないか、もし変わらないなら、それが本質ではないかという思いです。
「パソコン創世記」は、だいぶ以前に読んでいて、再読ということになります。
今回は、読む理由があるので、引っ掛かってくる言葉も、以前とは若干違いそうです。
そんな中、序盤から至言が発掘されました。
1977年の雑誌「アスキー」の創刊号で、西和彦氏が書いた記事の引用です。
パーソナルなコンピュータをどう位置付けるかという文脈で、西氏は「電卓の延長ではないと考えます」と喝破し、「対話の出来るメディアなのです。個人個人が自分の主体性を持ってかかわりあうことができるもの」とも言っています。
今から、30年近く前に、こんなことを言っているのです。
この考えは、Web2.0が語られる現代でも、充分に通用しそうです。
たしかに、「あちら側」よりも「こちら側」だろうと思います。それは、マイコンがやっとパソコンになろうとしてる頃だから、仕方ありません。
しかし、既にメディアと言っていて、コンピュータがコミュニケーションツールになることを悟ったような内容です。「あちら側」も、ある程度は見えているような印象を受けます。
コンピュータの価値が、メディア(の)インフラであるというのは、現在はもちろん、過去でも進んだ人は、そう理解していたわけで、1つの本質のように思います。
ところで、私は、若干の違和感を感じています。
メディアインフラというのは良いとして、当然、それ以外の本質もあるはずなのです。
つまり、私が本職としている企業情報システムの世界で、コンピュータ=メディアインフラ論は、しっくり来ません。
メディアインフラ論は、どちらかというと個人、小グループ、マイコン、パソコンといった、比較的小さなものから、ボトムアップ的に価値形成されたものではないでしょうか。チープになるが故に登場する「(小さな)もの」それ自体を基底に置いて、そこからどんな価値が生まれるかを見つけだそうとしているのです。
今から、数十年前に、TK~80が出て、その後でパソコンが登場したこと自体が、それまで大型コンピュータしかなかった世界で見れば、(ひょっとしたら最初の)圧倒的なチープ革命であるのです。これぞ、ムーアの法則ということ。
逆に、大型コンピュータに端を発する、トップダウン路線もあるに違いなく、そこで語られるコンピュータの価値こそが、古典的かつ典型的なものと言えるのではないでしょうか。
私が、企業情報システムにおいて、今一つしっくり感じないのは、トップダウン路線を、今のところ考えてないからです。
次回は、そちらにスポットを当ててみたいと思います。
梅田 望夫
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「パソコン創世記」は、青空文庫のフリーテキストとして提供されています。
コンピュータの価値を考える
- 2006-04-02 (日)
- ビジネス
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miscoreで「一所懸命」という記事を書きました。
私にとっての「一所」は、コンピュータだと宣言しました。
私は、コンピュータの仕事を一所懸命にやれば、自分も高められるし、世界にも貢献できると、思うようになりました。
もう少し、掘り下げて考えてみたいと思います。(それは、自分の持ち味だと思っています。)
コンピュータは、何の役に立っているのだろう、ということです。
つまり、コンピュータの価値です。
私は、若干、猜疑心が強いのか何だか分かりませんが、自分が一所懸命にやるものが、「本当に」世界に貢献できるのかを確認しておきたいのです。
そこを考えておくことで、自分の中に価値判断の土台が作れるし、モチベーションにもつながるからです。
これは、しばらく考えるべきネタなので、数回にわたる記事にしたいと思います。
とりあえず、この記事はネタフリです。




